被爆したマリア

        なかにし礼 (作家)

被爆したマリアの像がある。
私はまだ写真でしか見たことがないが、黒く焼け焦げた、しかし一目でそれと分かる木彫りのマリア像である。大きさは等身大で胸から上つまり頭部が焼け残った。
この像は、原爆投下によって廃虚と化した浦上天主堂の残骸(ざんがい)の中から発見された。発見したのはもともとは長崎の人で、北海道トラピスト修道士の野口嘉右衛門神父である。
彼は兵士として戦地へ行っていたのだが、1945年10月除隊となり北海道へ帰る前に長崎に立ち寄って浦上天主堂で黙祷(もくとう)を捧げた。
その時、瓦礫(がれき)の中から、真っ黒に焼け焦げた顔が深い悲しみをたたえて自分をみつめていることに気付いた。
それはかつてイタリアから送られてきて、この天主堂の祭壇の上部に安置された聖母マリア様の顔であった。
野口神父はこの幸運の授かり物を抱いて帰り自室の机上に保存し、毎日祈りを捧げていたが、やがてこのような聖なる物を私していることに後悔をおぼえ、原爆三十周年の年に浦上天主堂に返上した。
以上の話を、川添猛神父のお書きになった「ふろしき賛歌」という本の中の『聖母像の首』という章で読んだ佐多保彦氏(会社社長、私の友人)は1998年8月長崎へ飛んだ。
がなんと浦上天主堂へ行ってみると、被爆したマリアの像は、天主堂内ではなく別棟でほかの原爆の記念品と一緒にガラスケースの中に展示されていた。
こんなショックなことはなかった、と佐多氏は言う。
聖母マリアの像が、しかも被爆して焼け焦げた頭部が、単なるモノとして並べ置かれていたことに憤りさえおぼえたと。
このマリア像が、単なるモノでないことは誰にだって分かる。
場所が、隠れキリシタンが度重なる弾圧に耐えた日本の聖地ともいうべき長崎であることも象徴的だ。そして聖母が、我が子であるキリスト教徒の投じた大量虐殺兵器によって傷つけられたこともまた象徴的である。
キリスト教とは愛と平和を教える宗教だったのではなかったか。
被爆したマリア像は、焼け焦げにされた我が身をさらして、原爆の炎の痛みを人々に教えている。人間の愚かさを、愛と平和の尊さを訴えている。
最近、このマリア像は注目され、ベラルーシなどへ貸し出されているようだが、それよりも何よりも一日も早く、モノ扱いをやめて正式にミサを執り行ない、天主堂内の高い所に安置してほしいものだと愚考する。ま、いろいろ事情はあるのだろうけれど------。
佐多氏は、世界遺産にしたいと言っている。私もそれを願う。
このマリア像が奇跡のように不滅だったことが私は不思議でならない。一歩間違えば、瓦礫とともに捨て去られていたであろうに。
被爆したマリア像の写真は佐多氏が撮ったものだが、痛々しく焼けただれてはいるが優しさに満ちている。光を失った目は涙を湛えているようでかえって神々しい。こんな美しいものを創造するのはやはり天の意思であろうと私は深く納得するのである。

  2001年2月28日 日本経済新聞夕刊より

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